◆社長日記◆ 廣島時代のこと
- QSK代表
- 2023年6月25日
- 読了時間: 2分
更新日:2023年7月30日
本日は、私の祖母方の廣島時代について。
戸籍を見てみますと、以下の場所に住んでいたようです。土地勘がないので良くわからないのですが、比治山町は岸田首相の邸宅の徒歩2・3分くらいの場所というのは、グーグルマップから わかりました。
・石見屋町(現在の幟町)…曽祖父の実家
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・比治山町 …独立、結婚
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・鶴見町 …転居 曽祖父は、仕事の方は、芸備銀行(現広島銀行)に勤めていたと聞いています。
私の祖父は、各地を転戦した後、廣島の宇品に配属されたと聞いています。その際、下宿先?として曽祖父の家に招かれたようで、そこで娘の一人である祖母と一緒になりました。この時の曽祖父と軍服を着た祖父の写った写真があったと思います。
原爆投下日は、早番勤務で宇品に出ていた事から祖父は助かっていますが、曽祖父については芸備銀行に出勤している最中に直撃を受けています。祖父は、爆心地から離れた場所へ、曽祖父は爆心地に向かって移動していた事になります。
祖父は、戦後は、しばらく広島で働いていた後、宇品の暁部隊にいた頃の上官が大阪金属工業(現ダイキン)に勤めていた事から、そのツテで、そこの子会社?か何かに転職していたと思います。祖父のルーツは、大阪になりますから戻ってきたとも言えますね。
広島には、家族皆で足を運んでみたいなと常々思っています。
